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若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)
御祭神:
| 本社 |
仁徳天皇(にんとくてんのう) |
|
應神天皇(おうじんてんのう) |
|
神功皇后(じんぐうこうごう) |
|
素盞嗚尊(すさのおのみこと) |
|
天武天皇(天武天皇) |
| 末社 |
天満宮 |
宇治稚郎子命(うぢわかいらつこのみこと) |
|
|
菅原道真(すがわらのみちざね) |
由緒等:
当社の創建は、天智天皇(六六二年−六七一年)が志賀都より、山科郷へ御巡幸の砌、
この音羽の里に八幡神を御勧請になったのにはじまると伝えられる。
当初は、仁徳天皇、応神天皇、神功皇后の三柱をお祀り申し上げ、
末社を出雲社と称しここに素盞鳴尊を御勧請申し上げていたが後、出雲社を廃し、本社に配祀申し上げた。
その後、音羽里に粟津氏が居住するに至り、その祖に当る天武天皇を合祀するようになった。
そもそもこの山科の地は山城盆地と非常に似通った地型で、共に盆地の中心を川が流れ、南に向って開けた所である。
山科の北東部に位置する芝町(京都市山科区小山神無森町から同音羽平林町にかけて)には、
弥生後期(三世紀)の芝町遺跡が発掘されている。この芝町に当社の御旅所が設けられている。しかも、
その御旅所の祭祀が、古代信仰の原初的形態ともいえる磐境を中心としたものであるのも何か意味深いものを感じる。
そして山科の地が本格的に開けて来るのが六世紀以降であり、この時期が天智天皇の近江遷都の頃と重なるのである。
当社の創建がこれらの時代と期を一にするのも当然かも知れない。当社は往古から年々五斗の神供米を朝廷より受けていたが、
明治三年より廃止となった。
御本殿の造営は、堀川天皇寛治元年(一〇八七年)、後小松天皇応永年中(一三九四年−一四一三年)
後西院天皇寛文七年(一六六七年)桃園天皇宝暦二年(一七五二年)、明治十五年(一八八二年)
そして昭和になって三度行なわれたことが記録されている。
≪平成祭データ≫
まつり:
| 1月 |
1日 |
歳旦祭 |
| 1月 |
15日 |
とんど祭 [通称]とんど |
| 3月 |
7日 |
祈年祭 |
| 7月 |
2日 |
半夏生祭 [通称]半夏生 |
| 10月 |
16日 |
に近い日曜日 例祭 [通称]秋祭 |
| 11月 |
15日 |
火焚祭 [通称]お火焚 |
| 11月 |
下旬日曜日 |
新嘗祭 |
| 毎月 |
1日・15日 |
月次祭 |
正確な祭の日時は、各神社にお問い合わせ下さい。
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