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和貴宮神社(わきのみやじんじゃ)
御祭神:
| 本社 |
天照大神(あまてらすおおかみ) |
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配祀 |
伊邪那美命(いざなみのみこと) |
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豊受毘賣神(とようけひめのかみ) |
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伊邪那岐命(いざなぎのみこと) |
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天水分神(あめのみくまりのかみ) |
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天御中主神(あめのみなかぬしのかみ) |
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海津見命(わたつみのみこと) |
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猿田彦神(さるたひこのかみ) |
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国常立尊(くにとこたちのみこと) |
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阿賀姫神(あがのひめのかみ) |
| 末社 |
恵美須神社 |
事代主命(ことしろぬしのみこと) |
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稲荷神社 |
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) |
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兵主神社 |
大国主神(おおくにぬしのかみ) |
由緒等:
創祀年代 神代より。
宮津の地名は、当神社に祭神を海辺に祀り、宮の津を称せしにはじまる。現境内は、宮の津即ち宮祭る港の址なり、
海中の巌を今日も残す。此巌は神の依代で、万代の巌又は「波越巌」と呼ぶ。海神、此巌より釣りを垂れ給いしゆえ、鯛釣巌との伝説もある。
当神社の社殿は室町時代以前、既に創設せられ天御中主神、豊受神、海津見神、猿田彦神、我野姫を斉くに創り吾野の宮と称し、
式内の名社なり。文明二年四月二十一日、時の守護職一色氏が丹後国一宮の祭神を合祀し、そのべつぐうを成す。
丹仁波古記や吉田神名帳並に裁許状に載る一宮べつぐう大明神、丹後国一宮べつぐう総社、子守神べつぐう大神宮又、
江の島の宮とは当社のことである。中古に至り、分宮と称せしも後、和貴宮と改る。たたえて天地懸橋の宮と呼ぶ。
古来、旧宮津地区東部のうぶすな神で祭神は五穀豊穣産業発展並に豊漁、航海安全の神であると共に和合円満、
方位八方の守護神として近郊より信仰者も激増、旧来神前結婚の挙式が多い。
神代のその昔々、和貴宮神社は社の直ぐ右手に鎮座する波越岩あたりまでが海辺であった。
この磐境は神の依代として崇められ、祭神は天照大神、猿田彦神、事代主神(恵比須大神)、
弁財天等その効あってか、特に美人の参拝が多かったとか、終日鈴の音が鳴り止まなかった由。
その敬神範囲は広く、越前、越中、越後から近江、大阪、境、和歌山、播州、備中、備後等西日本全体にまで及んでいた。
今も神社の玉垣にその証がしっかり残っている。
そんな分で入江に存した社であったことから室町時代までは江ノ島神社とも呼称され、
宮のある津(港の意)であることから宮津の地名の発祥の社となりました。
≪平成祭データより≫
参拝等の雑感:
宮津市内の中心部近くに位置する神社。交通量が差ほど多くない日曜日の午前中ゆえか、割りと静かな地域だ。
車を宮本会館の駐車場に停めさせてもらい参拝に向う。神門を潜ると、石畳の参道がありその中ほどに大きな石鳥居がある。
その島居の向こうには拝殿があり、その後ろに本社が鎮座されている。先ず本社に参拝し、次に本社右手の末社に参拝。
残念ながら末社の御祭神は不明だ。そのご、末社と拝殿の間の小路を抜け本社のお社横に出る。厳密に言えば、拝殿横になるが、
そこには岩座があり、この辺りが元々海辺であった名残を伝える。和貴宮という社名は、「海辺の脇にある宮」と言うことらしい。
小路を戻り、拝殿を挟んで反対側の小路を進むと本社裏に出る。そこには波越稲荷神社が鎮座されていてる。
元から、この地に鎮座されていたのか、それとも遷座されてきたのかは不明だが、そのような感じを抱かせる神社だ。
何が違うと言うわけでは無いが。。。。
まつり:
| 1月 |
1日 |
元旦祭 |
| 2月 |
3日 |
節分祭 |
| 5月 |
14日 |
〜15日 例祭 [通称]宮津祭り |
| 毎月 |
1・15日 |
月次祭 |
正確な祭の日時は、各神社にお問い合わせ下さい。
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