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大虫神社(おおむしじんじゃ)
社格:
旧府社
式内社・大虫神社(官幣名神大社)
式内社・阿知江神社(官幣小社)1881年大虫神社に合祀
御祭神:
| 本社 |
大己貴命(おおなむちのみこと) |
|
太田命(おおたのみこと) |
|
少童命(わたつみのみこと) |
| 末社 |
若宮神社 |
遷座用仮殿 |
|
現皇稲荷神社 |
倉稲魂命(うかのみたまのみこと) |
由緒等:
延喜式の名神大社で『文徳実録』には、八五五年(斉衡二年)正月二十五日「丹波国大虫神社加従四位下」とある。
もと大江山の池ケ成の地に小虫神社と共に鎮座していたが、中世室町時代の初期に現在地へ移されたと伝えられ、
旧社地には、今も御手洗の池が残っている。
当社は古代から朝廷はもちろん、貴族や武士に至るまで、崇敬が厚く、
成相寺の国宝『丹後国郷保荘田数目録帳』に当社領一四丁七反二三六歩と記され、今も御供田、灯明田、油田等の地名が残っている。
昔阿知江郷一六か村の鎮守で、加悦町後野地蔵堂付近に一の鳥居があったが、一八八七年(明治二十年)頃その踏石が取り除かれた。
当社には用明天皇の第三皇子麻呂子親王(聖徳太子の異母弟)が大江山の鬼賊土蜘蛛征伐の時、
自ら神像をつくって納め立願されたという伝説があり、また、億計、弘計王が滞在したともいわれている。
一八七三年(明治六年)に豊岡県から村社に指定された。一八七七年(明治十年)四月社殿再建中失火のため、
社殿や古神像(麻呂子親王作という。)をはじめ、境内社に至るまで全焼、一八八一年(明治十四年)再建、
その後数回にわたって増改築されて今日に至っている。
現在の神像は、法量四七センチ、一八二六年(文政九年)の制作で、江戸時代の神像彫刻の一端を知ることかできる。
一八八一年(明治十四年)に床浦神社(祭神大田命)と式内社、阿知江神社(祭神少童命)が合祀された。
一九〇八年(明治四十一年)神撰幣帛料供進神社に指定され、ついで一九一八年(大正七年)十月二十四
日府社に昇格した。
一九二九年(昭和四年)四月六日、境内の経塚が発掘され、経筒(陶製)、銅製二、一直刀残欠、
経文紙片一〇枚等が出土した。また、境内に宝◎印塔と層塔、一四七〇年(文明二年)の作がある。
境内社に現皇稲荷神社(祭神倉稲魂命)、若宮社(遷座祭用仮殿)がある。
≪加悦町誌より≫
参拝等の雑感:
鳥居を潜って、道なりに車を進める。「本当にこの道で良いのか」と若干の不安を抱えながら道を進む。
道が左に折れてしばらく進むと境内正面に到着。車を停めて参拝に向う。遠目から見てもそうなのだが、
境内は木々に覆われている。曇り空のせいもあり、境内はちょっと暗め。
参道の階段途中に鳥居があり、更に登ると境内に出る。右手に手水所があり、左手に建屋。
参道正面の境内奥に拝殿があり、その後ろに本社が鎮座されている。境内左手は奥まで延びていて、
そちらの方に若宮社と最奥に稲荷神社が鎮座されている。
「式内社調査報告」には阿知江神社が末社として存在するような書き方がされているが、
実際は本社再建時の失火で消失され、本社再建後合祀されている。
住所:
京都府与謝郡与謝野町温江1821
(旧住所:京都府与謝郡加悦町温江1821)
まつり:
| 1月 |
1日 |
新年祭 [通称]元旦祭 |
| 2月 |
3日 |
節分祭 |
| 3月 |
下旬日曜日 |
祈年祭 |
| 4月 |
24日 |
〜25日 春季例祭 [神事名]春祭り |
| 7月 |
21日 |
夏季例祭 [神事名]麦祭り |
| 12月 |
上旬日曜日 |
新嘗祭 |
正確な祭の日時は、各神社にお問い合わせ下さい。
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